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  • 2014.08.17 Sunday
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ついすたーだと長い文章が書けないのでこちらへ。もはやただの備忘録だけど。

『さて問題は、母子一体感のような現象が赤の他人同士のもおこりうるかということである。先に結論をいえば、おこりうるから恋愛が成立するのである』
『たとえば恋人の彼が突然、会社をやめて田舎に帰って農業を始めることを決意したといったとき、彼がどんな感情から何をどう思考し、行動するに至ったかを理解、許容し、行動をともにできるかどうかが、ひとつの尺度になる。都会で安定したサラリーマン生活をしてほしいという気持ちを強引に押しつける場合もあるだろうし、あるいは彼の意思決定が彼女の気持ちを全く無視して、自分の論理だけで突進しようとする場合もある。そうなると、そこに共感はなくなり、愛は育たないのである』
(國分康孝『恋愛の心理』p55)

以前、友人と『「知っている」ことと「理解する」ことの違い』という、言葉でかろうじて意思疎通できるぐらいの話をしたことがある。言葉で全部すっきり伝えられないような、こういう言葉のへりをなでるような会話ができるひとは少ないし、通じ合えるひとはそんなにいないのだけれど、その場は不思議と通じ合えた気がする。

上の文章に出会って、ひとを理解するということは、そのひとのこれまでの背景や思考のパターン、価値観、身体感覚、いまの行動に関心を示して、それらを自分なりに有機的に解釈するということなんだなと、なんとなく自分のなかで整理がついた。

とすれば、やはり意図的にお互いを理解しようとする仕組みや取組は大事だし、そういうことに意識を向けていきたいなぁと思うのです。

なにが言いたいかというと、次はこういう感覚を共有できるひとがいいということです。w
もう依存されるのはごめんだー。


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